「ベニスに死す」
製作・監督:ルキーノ・ヴィスコンティ
脚本:ルキーノ・ヴィスコンティ、ニコラ・バラルッコ
原作:トーマス・マン「ベニスに死す」(2011年8月集英社文庫刊)
音楽:グスタフ・マーラー「交響曲第三番」「交響曲第五番」
出演:ダーク・ボガード、ビョルン・アンドレセン、シルヴァーナ・マンガーノ
1971年/イタリア=フランス/131分/35mmニュープリント
10月1日より銀座テアトルシネマにてニュープリントでロードショー
(c )1971 Alfa Cinematografica S.r.l. Renewed 1999 Warner Bros., a division of
Time Warner Entertainment Company, L.P. All Rights Reserved.
■イントロダクション
巨匠ルキーノ・ヴィスコンティ(1906~1976)の名作の中でも、『山猫』(1963)と並んで屈指の完成度を誇る傑作が『ベニスに死す』(1971)だ。第24回(1971年)カンヌ国際映画祭25周年記念賞に輝くこの作品は、日本では遅れていたヴィスコンティの評価を不動のものとしただけでなく、映画ファンに最も愛されるヴィスコンティ作品となった。そして製作40周年を迎える今年、待望のニュープリント版での再公開となる。名門貴族階級に育まれた知性と洗練、ヨーロッパ文明史を体現した作風で、ヴィスコンティは特に若い世代には敷居が高く感じられることもあるようだ。だが、『ベニスに死す』は例外的に極めて感覚的な作品なので、考えるよりはまず、見事な融合を遂げた映像と音楽に浸り、感じて欲しい。
夏のベニス。美しき水の都が疫病に侵される。運河は澱み、強烈な消毒臭と腐臭、廃棄物を焼却する赤黒い煙に包まれていく。死に怯える街に、頽廃が影を落とす。だがそれでも、“究極の美”は滅びない……。感覚の曖昧さに惑わされず、理性と知性、完璧なバランスを持ってこそ“美”を創り出せると信じ、それこそが芸術家の務めと自らを厳しく律してきた初老の大作曲家アシェンバッハ。そんな彼が、偶然目にした、白い制服に身を包んだ美少年タジオに“究極の美”を見てしまう。それは皮肉にも、理性や知性、努力などとは無縁の存在だった。厳しいまでの残酷さで人間を見つめ、時にそれが滑稽さや哀れみをも誘う『ベニスに死す』は、信念が脆くも崩れた芸術家を急激に蝕む老いと孤独、若さと美しさへの憧れ、そしてその先に訪れる“死”の物語だ。感覚に屈した苦悩の果てに“究極の美”の囚われ人となったアシェンバッハは、恍惚の表情を浮かべつつ絶命する。そこにあるのは、これ以上なく耽美的で官能的な、恐らく映画史上最も“甘美な死”の瞬間だ。
■ ストーリー
1911年夏。まだほの暗い海原を、重苦しい煙を吐きながらゆっくりと進む蒸気船エメラルダ。デッキの長いすで憂鬱な表情を浮かべるのは初老のドイツ人、著名な作曲家のアシェンバッハ。美を追求して自分に厳しく生きてきたが、妻子を亡くし、創作にも行き詰る。心身ともに疲れきって、静養のためにイタリアのベニス、リド島に向かっていた。
到着早々、醜悪な若作りの老人らに不愉快な思いをするアシェンバッハ。優雅に佇むオテル・デ・バンで支配人から最上の部屋に迎えられたが、心労で倒れたことや友人からの批判が頭をよぎり憂鬱になる。だが荷物を解くうちに気分も晴れた。その夜、夕食を待つサロンで美しい少年を目にし、心奪われる。美しい母親と妹たち、家庭教師と宿泊する14歳のポーランド人少年タジオだ。だが、その姿を目で追うようになったある日、見つめ返されて思わず動揺し、熱帯性の季節風が辛いことを理由に慌ててベニスを発つ決意をする。
アシェンバッハが駅に着くと荷物は手違いでコモ湖に送られていた。荷物が戻るまでベニスを離れないと癇癪を起こすが、ホテルに戻るその顔には、タジオを思い自然と笑みがこぼれる。その日から再び、タジオの姿を目で追ったが、同時に妻子との幸福な日々、娼婦エスメラルダの誘惑、愛娘の死、新曲の無残な失敗等、様々な出来事が思い返された。
避暑の季節も終わりに近づいたベニス。コレラが蔓延し始め、地元民は口を閉ざすが観光客は次々と帰国。だが、タジオの虜となったアシェンバッハは帰らない。理髪師に促されたままの不自然な若作りでタジオを追い、強烈な消毒臭と腐臭、廃棄物を焼却する煙が漂う街を彷徨った。タジオ一家の帰国の日。アシェンバッハは人気のなくなった砂浜で病に蝕まれた身体を長椅子に任せる。彼の人生を思い返しながら…。
■ 巨匠・ルキーノ・ヴィスコンティ監督の一生(1906/11/2-1976/3/17)
ルキーノ・ヴィスコンティは、1906年11月2日、イタリア、ミラノを統治した名門貴族の末裔として生まれた。そうした環境に生まれ育ったことで身につけた美学的洗練と普遍的教養が、ヴィスコンティを映画史に唯一無二の存在として位置づけている。
1943年のデビュー作『郵便配達は二度ベルを鳴らす』から1976年の遺作『イノセント』まで常に人間の本質を見つめ続け、33年間で長篇14本とオムニバスの挿話を含む中・短篇、共同監督作品5本を遺した。それらは現在、20世紀の芸術遺産として、ローマの国立映画学校兼映画保存機関、チネテーカ・ナツィオナーレにより17年前から順次修復されている。東京でも2004年にその貴重なプリントで全作品を上映、日本初となる奇跡のようなレトロスペクティブが開催された。
時代を経て古くなるどころか、歳月と共に輝きと強度を増しているヴィスコンティ作品の魅力とは何だろうか。まず挙げられるのは、日本でのブームのきっかけになった、後期作品群の絢爛たる映像美学だ。リアリズムに裏打ちされた豪華絢爛たるロケーションやセット、美術、衣裳と、様式美溢れるその世界は、映画という表現の中に文学、音楽、演劇、オペラといった全ての芸術を集大成させたものであり、まさにそれこそがヴィスコンティ芸術なのである。更に、ネオレアリズモに根ざした前期作品群から一貫してある、人間を深く見つめる鋭い洞察力と、そのまなざしが見出していく厳しくも美しい世界も見過ごしてはならない。
人間の弱さ、本質が抉り出され、ヴィスコンティ作品は大方が悲劇で終わる。家族は崩壊し、闘う者は破れ去る。だが、ヴィスコンティがそうした悲劇の先に見ようとしたのは人間への信頼と未来であり、それこそが普遍性を持ち得たヴィスコンティ作品の本質と魅力と言えるのではないだろうか。1976年3月17日、ルキーノ・ヴィスコンティはローマの自宅で息を引き取った。