第一回 『流れる』 幸田 文

『流れる』幸田 文 新潮社  
1942円(税別)/1996年刊

幸田文は明治37年、幸田露伴の次女として生まれた。父露伴は言わずと知れた明治期の文豪であり、母は家事に精励することを何よりのよろこびとする家庭的なひとであったらしい。

「父の話によると、炭取と火消し壺は母が大事な財産だといっていたという。一刻も早く火を得るために、経済のために、火の用心のために、そして料理に即応するために、あらいおき、こまかい焚落し、炭火を消すための、というようにいくつもの火消し壺があったという。
炭取も粉炭の、堅炭の、土竃炭のというように種類があって、整理していたという。
棚には薬味類と季節々々のつまや取合せにつかわるべきものが常備されていた。
たとえば蓼・三つ葉・紫蘇・生姜・茗荷などというものは、母の小さな畑の貴重品であったらしい」――「はは」(『みそっかす』幸田文/岩波文庫)

酒を愛し、その酒をおいしく飲みたいがために肴にもこだわった露伴は、この妻がいる限り平穏な日々を暮らしたであろうが、その暮らしは長くは続かなかった。
文が7歳のとき、母が結核により死去――、一男二女を抱えた露伴は後妻を迎えるが、この女性がリュウマチを患い、また酒飲みを嫌ったことから、台所仕事はもっぱら文の担当となる。
以降、露伴が81歳で死ぬ昭和22年まで、つまり文は45歳のそのときまで(結婚~離婚など数年のブランクはあるものの)露伴の食膳を整えつづけた。
露伴の死後『父―その死』、『流れる』『おとうと』などあふれ出るように文筆活動を始めたが、その随所においしい記述がみてとれるのは「台所育ち」と自ら称する文らしい特色だといえるだろう。

正月の支度を描いた『こんなこと』では16,7歳の文に対して露伴が徹底的に家事一切を仕込む様子がいささか恨みがましく綴られている。

「からすみ、雲丹、このわた、紅葉子(もみじこ)、はららご、カヴィヤ、鮭のスモーク、チーズ、タン、いろいろなピクルスが棚を占領し、おきまりの口取、数の子、野菜の甘煮、豆のいろいろ、ゆばに菊のり、生椎茸、鮎の煮びたし、雉の味噌漬け、だしはやかましくて鰹節・昆布・鶏骨と揃え、油は胡麻・椿・ヘット・鳥と揃え、これらを生かす大切な薬味類がととのっていた。
私が何より辛いと思ったのは牛のタンだった。
どさりと重いその肉塊は舌特有の皮に蔽われ、生きていた時のぬるぬるを思えば、塩で浄めているその手がふるえた。
これは父が好む正月の前菜の一ツなので、欠かせないものだった。
この気味悪さにくらべれば、粉雪のちらつく井戸端で生きてる鮒や鯊(はぜ)をおろすくらいは、いやだと泣いても絵になる優しさだが、まだら牛だったのか横腹に薄墨色の斑(ぶち)などのある舌を掴(つか)んだおどろおどろしさは、涙の出るどころではない不気味さだった」――「こんなこと」(『父・こんなこと』/新潮社))

紅葉子とはタラコ、はららごとはイクラのことであり、食材ひとつの呼び名にも露伴の美意識が徹底されていた。
明治にありながら「当時すでにレタスを蒔き、タンを煮、オリーブ油をつかっている」(「はは」)幸田家の進取性豊かな食膳の様子が手にとるようである。
幸田文にとって台所は戦場であり教室であり、ときに家の中で唯一の居場所でもあったはずだ。女であれば、というより料理をするものであれば、台所はうれしさも悲しさもその中に収めてしまう暗箱のような場所であるとおわかりいただけるだろう。鍋の煮物に、水道をジャージャーと流すシンクに、パタンと扉を閉めた冷蔵庫に、感情の澱が少しずつ澱んでいく……それはひとつのサンクチュアリでもあるのだが、幸田文の作品にはその聖なる場所から巷を鋭く見通す台所目線がいたるところに光る。
代表作である『流れる』は文51歳の時の作。父の死後立て続けに作品を発表した文だったが、一時のスランプを感じたのか、下町の芸者家に女中稼業に出たことがあった。
おそらくは作品をものすための取材であったのだろうが、その甲斐あってか『流れる』は当時の花柳界の風景を活き活きとリアルに映しだし、後年成瀬巳喜男監督により映画化もされる大ヒット作となった。
文本人であると思われる主人公の梨花は柳橋の芸者家「蔦の家」に奉公に出る。女主人であり往年の名芸者蔦奴、通いの老妓染香(この人の芸は確かだが、若い男に入れあげて年中ピーピーしている)、OL上がりの転向芸者なな子、売春容疑を盾に脅しにくる男など、山の手に住んでいては決してお目にかかれないような極彩色の面々が織りなすドラマは、台所からの醒めた目で「流れる」ように語られる。

「酒を出すのだから台所が忙しいかと云えば、ちっとも忙しくない。
酒も酒屋へ買いに行くのではない。いっさいは鮨屋へ云いつければ済むのである。『お酒二本、なにかお摘み見繕って、お猪口も五ツ揃えて』と誂える。持ってきたのはみごとだった。
平皿の大きいのへ温室きゅうりを筏に、こはだの細引、そぎ独活に大はしら、生海苔にあなごのしら焼、鯛の皮にゆがき三つ葉、とり貝に芽紫蘇、みなほんの一ト口一ト摘みずつである」――『流れる』/新潮社=以下同)

素人の奥さまがいきなり玄人のめざましいサービスに触れ、心地よいショックを受けているのが見てとれる。
借金まみれの染香にコッペパンとコロッケのおつかいを頼まれて肉屋へ行き、

「『ご面倒だけれど熱いのを一ツ揚げてくれませんか』と頼む。
五円の芋ころ一ツおごられて気が弱くなるのではないが、やはり結局はこうした心づかいをすることになる。
つめたいコロッケは脂臭く葱臭くざっかけない味がするけれど、もし揚げたてなら葱臭さはうまそうに匂うし、脂は実際うまくもある」。

なな子のところへ前の男から誘いの電話がかかってきて、浮かれたなな子が旅館へ出かける様子はこうだ。

「『宝亭さん? チキンサンドできる?じゃ野菜も入れて二人前、箱詰にして頂戴。それから果物はない?』もう行こうときめたのだろうが、きめればきめたでそうした心遣いもばらばらに乱れるらしい。『ねえ梨花さん、お鮨のほうがよかったかしらん。お鮨ならお酒も飲めるものねえ。いいわ、お鮨もそ云ってくれない?上だねをね』めちゃくちゃである」

翌朝、なな子はしおたれた様子で帰ってきて、昔の男がいかに落ち目になっていたかを嘆き、別れを決意するのだが、それを励ます梨花は

「『なな子さん、お風呂へ行ってらっしゃい。私たまご酒こしらえときますから、ぐっとあがって一ト寝入りなさいよ。おなか空いてるんじゃありませんか。何かたべたいものありますか。 疲れてるからそう気が立つんですよ』 なな子はおとなしく湯の道具を受けとって、朝食もぬきでもそもそ話しあうしけかただったと話し、肉のたくさんはいったカレーが食べたいと云った」

その描写に特殊な技巧があるわけではなく、食材の羅列であり、コロッケ、サンドイッチ、カレーなど誰もが知っている料理がひょいと挟まれているだけなのに、その行間からはおいしそうな匂いが立ちのぼってくる。
肉屋の前でコロッケが揚がるのを待つ、口に唾液がたまるような瞬間や、カレーをたらふく食べて昼寝する安寧な気だるさは誰しもが共感できるところだろう。
後年の幸田文は土砂くずれなど大自然のパワーに心を寄せ(『崩れ』)、奈良・斑鳩の法輪寺三重塔再建に力を注ぐなどして、多くの随筆とルポルタージュを残した。
それでも私は『流れる』から抜け出すことができない。台所に青春と女ざかりを封じ込めたひとの本質を見極める目に射すくまれて、一歩も動くことができずにいるのである。

 

幸田文 Aya Kouda


1904-1990 幸田露伴次女。清酒問屋に嫁いで一女(青木玉・作家)を儲けるも離婚。父露伴のもとに帰り、晩年を看取る。露伴の没後、父を追憶する作品を立て続けに発表し、作家デビュー。代表的な小説に『流れる』『おとうと』『きもの』、ほかに『みそっかす』『闘』『番茶菓子』など。

 

この作品も美味しく読める


『父・その死』 新潮社

文筆家として立つ決意も固まらぬうちに、父露伴最期の姿を記さなくてはという覚悟で書かれた文の第一作。描写は戦争末期から終戦後の激動期に看取った父の姿と葬送についてだが、その中でも父の最後の誕生日を祝った小鯛と赤飯の祝い膳や、末期の露伴の喉を吸い飲みでようよう通った「果汁とか牛乳・鰹だし・若鶏スープ・葡萄酒」など美味しそうな描写は瑞々しい。

『父・その死』新潮社
1600円(税別)/2004年刊


『みそっかす』 岩波文庫

才色に長けた長女、待望されていた長男に挟まれた次女の悲哀、継母との葛藤……読むほどに切なくなるが、「たべたことも見たこともない西洋料理のソースやドレッシングの類を」なんなく拵えた生母、肉をチーチーと鉄鍋で焼くハイカラな祖父、藤村の羊羹や風月のカステラを干からびるまでしまっておく祖母の描写など、食いしん坊な文のDNAを知ることができる一冊。

『みそっかす』岩波文庫588円(税別)