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『味』秋山徳蔵 東西文明社 絶版(2005年に中公文庫BIBLIOとして復刊、税込み800円) |
天皇陛下って何食べてるんだろう」と考えたこと、ないだろうか? 私は小学校のころ「皇居って水道の蛇口からジュースが出るんだって!」という幼稚な妄想で友達と盛り上がったこともあるし、紀宮さまこと現・黒田清子さんのご学友をつかまえては「宮様ってお弁当に何もってきてるの?」「やっぱインスタントラーメン食べたことないのかな」と聞きまくったこともある、限られた分野での皇室フェチ。宮中晩餐会のニュースでも妃殿下がたのドレスより何より献立が気になる、というたちである。
そんな私の好奇心を満たしてくれるのが、この『味』。昭和30年に初版(当時220円!)されたこの本は、“天皇の料理番”として知られた秋山徳蔵による初のエッセイ集である。
天皇陛下は、黄金(きん)のお箸でお食事を召し上がる――とは、広くいい伝えられた話であった。ひょっとすると、今でもそう信じている人がいるかもしれない。
ここにあらためて説明するまでもなく、雲の上にいらっしゃった時代から、いまにいたるまで、一般国民と変りのないごく普通のお食事を、ごく普通の柳の箸で召しあがっておられるのである――『味』/東西文明社
福井県・武生の料理屋の次男坊に生まれた秋山は16歳で西洋料理の修業のため東京へやってきた。華族会館(現・九段会館)で3年間見習いをし、次に築地の精養軒に勤め、20歳で「ほんとうに西洋料理を研究するのには、どうしても本場にゆかなければ、と思い立」ち、シベリヤ鉄道経由で渡欧。時は明治42年、まだ日本人など珍しかっただろう時代にパリの最高級店(当時)キャフェ・ド・パリやホテル・リッツで修行し、大正3年に帰国した。
オテル・リッツで半年、それから南仏ニース――金持ばかりが集まる海岸避暑地――のオテル・マジェスティックに移り、ここで七ヶ月あまり働いているところへ、国へ帰らないかという話が持ち上がった。
天皇陛下のご即位が行われるのに、外国から皇族、王族、その他の貴賓がおいでになる。本格的な洋食を作る指導者がいなけりゃどうにも困るから、お前ちょっと帰ってくれ――というのである――(同)
この天皇陛下というのは時の大正天皇のこと。大正3年3月に帰国し、半年間の身元調査を経て11月に宮内省大膳職主厨長を拝命。翌年11月には外国からの賓客を迎えて総勢2000名分の“洋食”による晩餐会を若干26歳のコックが仕切ったというのだから、突貫工事にもほどがあるというべきだろう。ちなみにその時の献立も誇らしげに記されている。
大正四年十一月十七日於京都二条離宮
大饗賜宴 献立
一 鼈清羹(すっぽんのコンソメ) 蝦蛄濁羹(ざりがにのポタージュ
一 蒸茹鱒(ますの酒蒸し)
一 被包肥育牝鶏(とりの袋蒸し)
一 享炙牛繊肉(ヒレ肉の焼肉)
一 煮熱冷鶉(うずらの冷い料理)
一 柑橘凍酒(オレンジと酒のシャーベット)
一 番焼吐綬鶏 交品 鶉 生菜(七面鳥のあぶり焼き、うずらのつけ合せ、サラダ)
一 湯沸唐嵩(セロリの煮込み)
一 氷菓(アイスクリーム)
一 後段果実生菓各種(デザート)
酒類
一 アモンチアード寒爾利酒(セリー酒)
一 千九百年醸シャトー、イケーム白葡萄酒
一 千八百七十七年醸シャトー、マルゴー赤葡萄酒
一 千八百九十九年醸クロードヴージョー赤葡萄酒
一 ポムリーエグルノ三鞭酒(シャンパン)
麺包(めんぽう) 珈琲及焼酒数品 ――(同)
麺包とは皇室独特の言い方でパンのこと。正直言ってこれだけでは「美味しそう!」とは思えない献立だが、1915年にこれだけの正式な晩餐を整えるのは大変な手間であっただろうとは容易に想像できる。それより1900年ヴィンテージのシャトーイケムや1877年のマルゴーはどんな味わいだったのだろう。シェリーを食前に飲んだのなら、ポメリーのシャンパンは食後に飲んだのだろうか、などとアルコール類に興味がひかれる。
また、当時はオリーブオイルも満足に手に入らなかったらしく、食材調達の難しさは秋山の最後の愛弟子、渡辺誠が著した『昭和天皇のお食事』にもくわしい。
一方では、当時の日本ではまだ輸入されていない食材も大膳流に工夫していました。たとえばフォア・グラがそれです。
大膳では秋山さんの指導のもと、「フォア・グラもどき」をつくっていました。
「これは本来のフォア・グラではないけれども、『もどき』はこうやってつくるんだ」と秋山さんが説明してくれました。
鶏の白レバーはベーコンと香味野菜と一緒に煮込みます。白レバーを潰し、なめらかになるまで三段階くらいに分けて細かく漉します。最初は石臼で潰して、次にミキサーにかけて、三回目は、目の粗い漉し器で丹念に裏漉しします。金気を嫌うというので、馬の尾の毛で作られた漉し器を使っていました。
そうして型に入れて冷やしてから切ると、もうフォア・グラみたいになめらかな食感で、本当に美味しいものに仕上がります。
もちろん手間隙はとてもかかりますが、この「フォア・グラもどき」のレシピは、「料理とは真心をつめて最善を尽くすもの」という考えをもった秋山さんならではのもので、秋山さんの姿を思い浮かべながら何度も作った大膳の思い出の料理です。――(同)
この秋山の腕は宮中行事のときのみならず、天皇家の毎日の食卓でもふるわれた。昭和天皇はざるそば、てんぷら、うなぎ、さんま、いわしなどを好んだそうだが、戦後の物資不足の折はヤミの物を買うことを天皇が絶対に許さず、食材の調達に苦労したことなどが深い尊敬の念とともに綴られている。
以上、思いつくままに、いつわりのないところを書いてきたが、天皇のお食事というものは賜宴、陪食の場合は別として、たいそう質素であり、特に主食では一般の家庭より無味なものを召しあがっておられることを解ってもらえれば、結構だと思う。
最近の或る一日のお食事の献立をひろうとすると、次のごとくである。文字で書くと、これでもなにか立派な感じがするが、試みに、みなさんの家庭の一日の献立を文字で書いてみられるとよい。中流以上の家庭ではこれ以上の食事をしておられるところが多いことと思う。――(同)
として書き出されているのは、
朝-オートミール、トースト、小蕪のクリーム煮、レタスサラダ、果物、湯ざまし、お茶、牛乳
昼-すまし汁、丸麦入りごはん、刺身(矢柄魚)、八つ頭煮物、さやえんどうのバター炒め、漬物、柿、お茶、牛乳
夜-スープ、仔牛の包み焼き、とうもろこしのバター炒め、パン、果物、カルグルト(皇室特製のカルピスのようなもの)、お茶、牛乳
という献立。確かに特別に贅沢とはいえない、ごく普通の食卓の風景である。
『味』は日本における西洋料理史としての側面もあり、またひとりの職人が誠実に職務を全うせんとする青春ドキュメントとしても読める一冊。宮さまがインスタントラーメンを食べたことがあるか否か、はついにわからなかったが、私が独自に収集したエピソードをひとつご披露すると、ある日某宮さまの友人がお弁当に個別パックされたフリカケを持ってきた。すると宮さまは不思議そうなお顔で「それなあに」とお聞きになった。「フリカケだよ」と教えると「ふ~ん」と興味を失ったようだったが、翌日宮さまのお弁当にはちゃんとフリカケパックがついており、うれしそうに召し上がっていた、という話。この話を聞いたのは中学2年の時だったが、今も時々思い出してはクスリとしてしまう大好きなエピソードだ。
やんごとない方々の召し上がりものというものは、かように食いしん坊の興味を引いてやまないのである。
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秋山徳蔵 Tokuzo Akiyama 1888-1974 福井県武生で料理屋の次男として生まれ、華族会館料理部、築地静養軒での修業を経て1909年渡欧。1913年帰国、同年宮内省大膳寮に就職、厨司長となり、大正、昭和2代天皇家の食事、両天皇即位御大典の賜宴を統括した。杉森久秀が秋山をモデルに小説『天皇の料理番』を著し、のちにTVドラマ化されたこともある。著書に『仏蘭西料理全書』、『味』、『味の散歩』『料理のコツ』など。 |
この作品も美味しく読める
『舌』 秋山徳蔵著
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サブタイトルに「天皇の料理番が語る奇食珍味」とあるように、半世紀を天皇の料理番としてさまざまな食材を知り尽くした著者が秘食、強精について大いに語り、イカモノ談義に華を咲かせる。味と香りだけではなく、歯切れや舌触りなど触感にも焦点をあて、まさに五感で味わえる名著。 |
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『舌』 秋山徳蔵著 中公文庫 800円(税込み) |
『昭和天皇のお食事』 渡辺誠著
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秋山徳蔵最後の愛弟子が間近にみた昭和天皇と、現・皇太子殿下の食卓。詳細に記録された正月の御祝御膳や、いちごのジャムサンドイッチをこよなく愛した昭和天皇の姿など、歴史的な記録としても価値が高い。著者の渡辺誠は2003年に55歳の若さで急逝した。 |
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